上司と部下の相互理解とその類似的事象における考察



「あのさあ、俺、何度も言ったと思うんだけど」
「何かしら、ダミュロン」
焦りも後ろめたさも何もなく、言葉通りの口調で首さえ傾げてくれた上司に、ダミュロンの首ががくりと落ちる。
「じゃあ、言わせてもらいますけど」
溜息一つ後、ダミュロンは大量に空気を吸い込んだ。

怒鳴るためだ。

「なんっっでまたケガしてんだよ、あんた!!」



帝国騎士団キャナリ小隊。
平民出が半数を占めるこの小隊には、危険を伴う任務が回ってくることが多い。
本日の任務は、帝都付近に出没する魔物退治だった。いや、「本日も」か。
それ自体は、いい。これも市民を守るという立派な任務だ。
任務に全力を尽くすというのも、騎士として当然の話だ。
当然。そう、「当然」なのだけれど。

「なんで?なんで小隊長サマ御自ら、魔物の正面に出てくわけ?しかもあんたの武器って弓だよな。なんで弓持って近接戦闘仕掛けに行くわけ!?」
「ねえ、一度に聞かれても答えにくいわ。どれから答えたらいいのかしら」
「そおおですねええ、じゃあ、魔物の正面に出てった理由でも、お聞かせ願えますかねええ?」
口調が糸引くくらいにねちっこいのは、この際勘弁してもらいたい。これでも我慢の崖っぷちに必死で踏みとどまっているのだ。
ダミュロンは片手で、目の前でぱっくり口を開けて鮮血を流す白い額に布をあてがいながら、もう片方の手で消毒液の瓶の蓋を器用に外した。キュポン、と小気味よい音をたてて、コルクが飛ぶ。地面に落ちたけれど、どうせまるまる一瓶使い切ることになるのだろうから、放っておいてもかまわない。
新しい布に薬剤を染み込ませ、額の布と取り替える。傷口がしみたのか、キャナリは眉をしかめたものの、おとなしくされるがままになっていた。
「だってあの時、魔物の先にはヒスームの弓隊がいたわ」
「ちゃんと構えてただろう」
「あそこで射たとしても、あの勢いは止められなかった。違う?」
「違……わないけど、でも、そこまで接近したらあいつらだって逃げるだろう」
「ルシアはその前に脚をやられていたわ」
下っ端隊員のことまで、実によく見ていますこと。
ダミュロンはちら、と背後に視線を流した。後ろでは隊員達が撤退準備に奔走していた。具体的には、魔物を荷車に押し上げ縄をかけているのだ。仕留めた魔物は、下町へ持ち帰る。下町の貴重な食材となり財源となるからだ。件の隊員は軽傷だったから、応急処置の後早々に皆と合流していた。
本来なら、小隊長が負傷した今、副官のダミュロンが指揮を執るべきなのだろう。だがあいにくと、回復術を扱える術師も医師もおらず、隊員の中では、悲しいかな、ダミュロンは小柄な部類で、しかも手先が器用だった。もちろん、戦闘でも優秀だから戦闘中はまずないが、こうして終われば、いつのまにか自然と、応急処置の役が回ってくるようになっていた。
血がなかなか止まらない。ダミュロンはまた布を替えた。
「なんかさあ、俺が応急処置してやる相手って、ほとんどあんたなんだけど」
「そうなの?ありがとうダミュロン」
「どういたしまして……って、そうじゃなくて!」
思わず額を押さえていた手で拳を作ると、ぱっくり割れた傷口から、つぅ、と一筋、血が垂れた。
いかんいかん、慌ててまた、布を当てて圧迫する。
「応急処置が必要なくらいのケガすんな、って言ってんの。他の奴らがかすり傷程度で済んでるのは、そりゃああんたのおかげかもしれないけどさ」
「じゃあ、いいじゃない」
「よくねぇよっ。だいたい、女が顔に傷作ったら、ふつうはオオゴトなんじゃないの?」
「そんなの気にしてたら、騎士なんてできないわ」
「あーつまり…………」
──どんな姿でも、恋人がもらってくれるからいいってことか。
いかん、これは禁句だ。
「『つまり』、何?」
胸にざっくり突き刺さったものに、どんだけ自虐的なんだよ俺、などとつっこみつつ、ダミュロンは飲み込んだ言葉の代わりを口にする。
「つまり、女捨ててるんだよな」
「しっつれいねぇ!それとこれとは別よ!」
ぷりぷりと怒る彼女を見て、ダミュロンは笑った。わざとらしく。
笑いでもしなきゃ、やってられない。
手探りで包帯をとり、額の布を替えてその上に細布をあてがう。長い前髪をそっと掬い上げると、キャナリが軽く瞼を伏せた。まつげが長いのは知っていたけれど、未だにドキリとする。この「ドキリ」がけっこう快かったりするのは秘密だ。優越感もあるかもしれない。
「戻ったらすぐ治癒術の申請しろよ。ていうかしとくから、最優先でやってもらって」
「……そうね」
「する気ないだろ」
「そんなことないわよ」
「『最優先』」
「……順番を守るのは大事なことよ?」
「ほぅら、やっぱりな」
包帯を巻きつけ、端を結ぶ。いつもの2割増きつく結んでやった。キャナリが顔をしかめたけれど、かまうものか。
「ま、どのみちすぐやってもらえるだろうよ。お医者サマがちゃんと仕事してりゃあな」
「なぜあなたが怒るの」
キャナリは包帯の上から傷口に触れた。触れたとたん、ぴくりとこめかみが引きつった。
「だーかーらー、何度も何度も何度も言ってるだろ」
立ち上がるキャナリのブーツを前にして、ダミュロンはがしがしと髪を掻きむしった。
「リーダーが率先してケガするなって言ってんの」
「だからって皆に怪我をさせるわけにはいかないじゃない」
「そのセリフ、そっくりそのまま返すぜ」
「じゃあ、私の気持ちも分かるわよね」
「俺らの気持ちもな」
ダミュロンは見上げる。きょとんとした瞳が綺麗だと思った。
キャナリの微笑んだ口元が、うれしいと思った。
「心配してくれて、ありがとう」
「そう思うなら、次からは気をつけてくれ」
キャナリの笑顔は、溢れる木漏れ日よりも眩しかった。
「考えとくわ」






「……………で?」
問いかけた相手は、後始末に忙しい隊員達を見つめていた。
否、見つめているふりをして、視線を逸らしているのだ。まったく、この女は。
「俺、何度も何度も言ったと思うんだけど」
「何かしら、ダミュロン」
ダミュロンは、目の前にさらされたキャナリの左肩に、盛大に瓶の中身をぶちまけた。
掴んだ細腕が、反射的に逃げようとした。もちろん、そうはさせない。ダミュロンは掴む手に力を込める。
キャナリが涙目でわめいた。珍しい。よっぽど痛かったのだろう。
「ちょっと!痛いじゃない!」
「そりゃ痛いだろうよ。こんなケガしてりゃあな」
「だったらもっと優しくしてよ。わざとでしょう」
「わからずやに優しくしてやるほど、お人好しじゃないんでね」
ちら、と視線を落とした先に、キャナリの肩当てが転がっていた。
銀色に鈍く光る防具は、本来丸みを帯びているはずの形をいびつに変形させ、親指大の穴を4つ開けていた。
ウルフの牙だ。
護衛していた隊商が狙われ、応戦していた時にできた。
防具がなければ、肩を砕かれていたところだった。
この細い肩が。
ダミュロンはもう一瓶、傷口にぶちまけた。キャナリが悲鳴を押し殺して呻いた。
「小隊長、なんか骨、見えてるんですけどー」
「え、本当?」
「って、こらこらこら、そこで見ようとするなよっ」
「だって私、自分の骨って見たことないんだもの」
「俺だってないよ!てか、問題はソコじゃないだろう!?」
そして何故、不思議そうに俺を見る。
さっきだって、こちらが声をかけるまで、自分の怪我に気づいていない様子だったのだ。
「あら、この血って私のだったのね。てっきり魔物の返り血だと思っていたわ」
ときた。
痛くないのかと聞けば、「そういえば、なんだかズキズキするわね。『ズキズキ』?『ドクドク』のほうがぴったりかしら」とのたまわれた。
信じられないにもほどがある。
「普通は泣くかわめくかするケガなんじゃないの、これ」
「あなたの手当の方がよっぽど痛いわ」
「ついでに俺らの心配も心に突き刺さってほしいトコですけどね、しょーたいちょー」
「心配かけて悪かったと思ってるわ」
「うわあ、嘘くさい」
「嘘じゃないわよ。それでも皆が私を分かってくれてることに感謝しているわ」
「『分かってる』んじゃなくて、『諦めてる』っていうんだよ」
「それでもいいわよ」
「よくねぇよっ」
清潔な布と包帯を取り出しててきぱきと処置しながら、ダミュロンは反論する。
「ていうか、こないだ『考えとく』って言ったよな!?言ったよな!?」
「言ったわよ」
「あんた、ちっとも考えてないだろう!?」
「考えてるわよ」
「どこが!?」
「考えてるけど、考えてる途中なの!」
うわあ、何、そのへりくつ。
「だって、仕方ないじゃない!」
キャナリは形のよい眉をつり上げて、ダミュロンを睨んだ。。
「民間人が襲われてたのよ?助けるのが私たちの仕事でしょう?」
「そりゃそうだけど……でもあの時はさ」
たじろぎながらも、ダミュロンは反論するる
そう、近くにいたのだ。
逃げ遅れた民間人に近かったのは、むしろダミュロンの方だった。
「あなたはあなたで、魔物を相手にしていたじゃない」
「弓隊のための足留めだったから、他の奴に任せてもよかったんだ。俺の方が近かった。俺だったらもっと速く駆けつけて逃がせたかも──」
「推測は未来の役に立てることはできても、結果を変えることはできないわ」
「そうじゃなくて」
ダミュロンは包帯を巻く手を止めた。
「だから……俺らをもっと使えって言ってんの。……声、かけろよ」
照れくさいので、ぶっきらぼうな言い方になってしまった。
ダミュロンはまた、黙々と包帯を巻き始めた。
周囲では、馬車を起こしたり散った荷物を集めたりと、隊員達の忙しない様子が聞こえている。
「そうね」
それでも、キャナリの声は、確かな意志をもってダミュロンの耳に響いた。
「今度そんな場面があったら、あなたを呼ぶわ」
「いや……別に、俺じゃなくても、誰だっていいんだよ」
「でも」
でも?
顔を上げると、キャナリがいつものように笑っていた。
「私が一番近かったら、私が行くわ」
「あー……つまり?小隊長殿を守りたければ、先に気づいて動けって?」
「勝手な行動は禁じます」
「なんだそりゃ!?」
「当たり前でしょう、怪我したらどうするの」
「あんたにだけは言われたくないぞ、それ!?」
包帯の端を結ぶ力が、思わずいつもの3割増になってしまった。
どのみちまだ止血が必要だから、かえっていいのかもしれないが。
「ホントさ……せめてかすり傷程度にしてよ」
「私だって、好きで怪我しているわけじゃないわよ」
「いやもう、毎度毎度でシュミなんじゃないかって思えるよ」
頼むから、溜息の意味を汲んでほしい。
「俺だって応急処置しかできないんだからな」
「そうね、ダミュロンが治癒術使えたらいいのにね。ね、この際だから覚えない?」
「キャ〜ナ〜リ〜」
「冗談よ。でも感謝してるわ」
「感謝はもう十分なんで、ぜひ気をつけてください」
「はぁい」
「……………あ、うん」
「なんで赤くなってるの?」
「き、気のせいだ」
「……変なの」
うっかりときめいてしまったのは秘密だ。しかしなんだ、今の「はぁい」は。かわいい、とか思ってしまったじゃないか。
ダミュロンは立ち上がり、手を腰のあたりで拭いて、差し出した。
キャナリの白い手が重なった。
滑らかでいて、弓使い独特のたこがある、騎士の手だった。
「治癒術の申請出しとくけど。あんまり頻繁だと、そのうち団長閣下に呼び出し喰らったりしてな」
「それは困るわ!どうしよう」
「ケガしなきゃいいんじゃねぇの」
「そうね、気をつけなきゃ」
あ、何その決意の拳。
遠くから「小隊長!」と呼ばれて、キャナリが離れていく。
ぴんと伸びた背中で長い髪が揺れるのを見送りながら、ダミュロンはへこんでいる自分を感じていた。
「やっぱ、団長閣下には負けるのかなぁ……」
「そんなことないと思うよ」
背後からやってきた同僚が答えた。声だけで誰か分かったから、ダミュロンの視線はキャナリの背中に向けたままだった。
「小隊長の手当て、終わったのかい」
「まあ、とりあえず?」
「何か問題でも?」
「骨、見えてた」
「じゃあ、早く帰還しないといけないね」
「そうだな」
「じゃ、急ごうよ。副官殿」
ぽん、とダミュロンの肩を叩いて、彼は前を歩き出した。
ダミュロンは僅かに顔をしかめた。叩かれた肩がずきり、と痛んだ。あれ、いつ痛めたんだっけ?
背中を向けたまま、彼はひらりと手を振った。
「キミの肩も手当ての必要がありそうだしね」
「……こんなの、たいしたことないさ」
「そういうのは、後になってからくるんだよ。まあ、友人の忠告は素直に聞きたまえ。なんて、キミなら分かってくれるだろう?」
ダミュロンはグッと言葉に詰まった。
確かに、ここで無下にしたら、それこそ「どの面下げて」だ。
「………ご心配どうも」
「どういたしまして」
おもしろがるような口調が勘に障ったけれど、うっかり墓穴を掘るのも嫌だったので我慢した。
そのまま立ち去ろうとする背に、ダミュロンは尋ねた。
「なあ、さっき『そんなことない』って、言ったよな」
「言ったね」
背中が止まった。
「なんてそう思うんだ?」
背中は、うーん、と軽く唸って、それから答えた。
「ま、そのうち分かるよ」
「はあ?」
意味が分からない。
行ってしまった背中の行く先をしばらく見つめていたダミュロンは、やがて溜息ひとつついて、それから走り出した。
「ダミュロン!」
キャナリが呼んだからだ。



そのうち分かるよ。
その言葉の意味を、ダミュロンはものの数日で理解することになる。



本日の隊務──帝都南側に出没する魔物の討伐。
作戦は立てた。陣形もばっちりだ。
だというのに。

「…………だれですか、あの魔物の正面に突っ込んでいってる人」
「そりゃもう、うちの小隊長サマでしょう?」
確かに、誰かが足留めしなければ、隊列は崩されるという、予測外の場面。判断は間違っていない。間違っていないけれども。
せめてあと数名連れていってください。それともあれですか、声をかけずとも以心伝心、私の部下なら察しろと、そういうことですか小隊長。
「俺さあ」
全体を素早く見渡しながら、ダミュロンは弓を剣へと変形させた。
「あいつの恋人って奴を、尊敬するわ」
「そう?」
「あんな命がいくつあっても足りないような無鉄砲女に、それでも好きにさせとける心の広さって、すごいと思うんだ」
「そんなつもりはないんだけどねぇ」
「え、なんだって?」
ちょうど魔物が吠えたため、よく聞こえなかった。
彼はダミュロンの背を軽く叩いて、ウィンクした。
「彼女を止められる者は誰もいない、ってことだよ」
「誰でもいいから止めてくれ」
答えながら、ダミュロンはすでに走り出していた。
今日こそはと思いつつ、鞄の中の薬と包帯と覚えたての治癒術を頭の中で確認して。










──それから、10年ともう少し後。

「とばしていきますか!」
「ちょっ、ちょっとユーリ!?」
魔物との戦闘中、長身の黒い人影が正面からつっこんでいく。
いつものことながら、これだけ勢いよく向かっていかれては、「戦闘好き」と言われても仕方ない。
「ユーリ!ケガしないでくださいね!」
「わぁってるって!」
いや、分かってないよね。
漆黒の髪が翻る。
なんていうか、見たことあるよねこんな場面、と、遠い昔の光景が脳裏をよぎる。
「ユーリっ!?」
黒髪の周りに鮮血が散った。
「ちょっとあんたっ、エステルに治癒術使わせんじゃないわよっ!?」
「分かってるよ!!」
「だったらムダにケガすんなあっ!!」
リタの叫びに、つい吹き出してしまった。
「なに笑ってんのよ!?さぼるな、おっさん!」
「はいよー」
弓に矢をつがえながら、頭の中で算段する。

確かカロル少年の鞄に、消毒薬と包帯があったはず。
青年にはもうちょっと、思い知ってもらわないとね。
でも、体力くらいは回復させてあげよう。
仲間を背に、正面向いて頑張っている君に、敬意を表して。

レイヴンは空に向かって叫んだ。

「愛してるぜぇ!」

幾筋もの光が、青空に弧を描いた。



2011.5.8



ダミュキャナかわいい(*^^*)
キャナリは決して戦闘狂じゃないけれど、
“守る”ためなら最前線に突っ走っていっちゃいそう。
そんなキャナリにいつも一歩遅れて気がつくダミュが、
「チクショー!」とか悔しがってたらカワイイなあ(*^^*)