あなたの隣を歩いていく

届けられた１通の封書に目を通した後。 「ゴーシュ。ドロワット」 「はい、イエガー様」 「はいなのよん、イエガー様」 「でかけますよ」 「はい。どちらへ」 「どこへ行くのかなん」 イエガー様は革手袋に包まれた人差し指をぴんとたてて、まるで子供のような笑顔を見せた。 「レッツゴー“デート”、でーす」 帝都ザーフィアスの街並みは、テルカ・リュミレース中のどの街よりも美しい。 モザイク模様の石畳が、日差しを受けて宝石のようにきらめく。 立ち並ぶ建物の壁が整然と道を造り、２階、３階の窓辺には色とりどりの花々が咲き乱れる。 大通りは幾本もの路地によってつながっていて、一歩踏み込めばちょっとした冒険気分を味わえた。 上り坂、下り坂、石階段、空を仰げば、細長い空を石造りのアーチが区切る。 洒落た扉、様々なデザインの吊り看板、小さなショーウィンドウ、買い物の籠を下げた女や荷を運ぶ男が行き交い、まれに子ども達が歓声を上げて駆けていく。 路地を抜けて最初に浴びる日差しの感動は、どう表せばいいのだろう。 そしてもう一つ、目に入るのは天空の城──ザーフィアス城。 空を貫かんとする巨大な剣が、威厳と気品を持って街全体を見下ろす様は、まさに圧巻だった。 「……ですからね、２人とも」 大通りを並んで歩きながら、イエガー様は苦笑混じりに肩をすくめた。そんな仕草も実に様になっていると、ゴーシュは思っている。 「もう少しエンジョイしてくだサーイ。ミーのエスコートがバッドなのかとショックですよー」 「そんなことはありません！完璧です！」 ゴーシュは力いっぱい否定した。否定して、拳を握った。 「分かってます。“デート”という名の『偵察』ですね」 「はーい、ばっちりカンペキでーす！でも、何を『偵察』すればいいのか分かんないんだわん」 「ばかドロワット、街の様子に決まっているだろう」 「街の何を見ればいいのねん？」 「それは……街がきちんと機能しているかとか、不審な人間がいないかとか、いろいろあるだろう」 「だから２人とも、これはリアルに『デート』なんですけれどね──」 「ですから、分かってます。『デート』の『フリ』をするんですよね。大丈夫ですご安心ください」 「そうそ、ばっちりなのだわん」 「…………」 そうしたらイエガー様はもう何も言わなかった。ただ小さく笑って、ゴーシュとドロワットの頭をぽんぽんとなでた。 「まあ、それはサイドにプットしておいて。さて、何かイートしたいものはありますか、レディ達」 ゴーシュが考える間もなく、ドロワットが手を挙げた。 「はいはーい、私はクレープが食べたいでーす」 「オーケイオーケイ、ゴーシュもそれでオーケイですか」 「あ、はい」 「では、レッツゴーでーす」 ふいに大きな掌に肩を包まれ、引き寄せられた。 「い、イエガー様……!?」 「“デート”、ですよ。ゴーシュ」 悪童のようなウィンクを１つ寄越して、イエガー様は歩き出した。 攫われるように、ゴーシュも歩き出した。 ふいに走り出した風の速さが、やけに快かった。 イエガー様の多彩な顔を、ゴーシュ達は知っている。 時に非道で、時に冷酷で、時に温かく、やさしい。 人を助けるその手で、躊躇なく人の命を奪う。 そのお考えは、ゴーシュ達には分からない。 分からないけれど、それらは些細なことだった。 だってそれらはどれも、イエガー様が決めたことだから。 ゴーシュ達は、イエガー様がイエガー様であるなら、それで十分だった。 イエガー様が言うことなら、何でも聞くし、何でも叶えてあげたいと思う。 そう、何でも。 『何でも』──なんだけれど。 露店でイエガー様がクレープを３つ買ってきた。通りに面したベンチに、３人並んで腰掛ける。 もちろん、真ん中がイエガー様。右がゴーシュ。左がドロワット。 「どーぞ。めしアガレ」 「いただきます……」 笑顔に促されて、口をつける。 甘酸っぱい苺が舌先に広がり、生クリームのなめらかな甘さがふわりと溶けた。 「テイストはいかがですか？」 「お、美味しい……です」 ドロワットがイエガー様の手元を覗き込んでいた。 「イエガー様の、なぁに？」 「チョコですよ。イートしますか、ドロワット？」 「んー、食べてみたいけど、間接キスになっちゃうんだわん」 「ハッハー、レディとしてはミクスフィーリンですねぇ」 「そうですよ〜乙女心はフクザツなんです〜」 風が青葉の匂いを運んできた。 見上げれば、街路樹の葉がさらさらと揺れていた。 光が降り注ぐ。 「………」 目があった。 クレープくわえたイエガー様。 イエガー様とクレープ、というのは、なんというか、ものすごく……珍しい。 ぽかんと見つめていると、イエガー様はばちりと目を瞬いて、それからその目を眇めてにこりと微笑んだ。 向こう側からドロワットがはしゃいだ声を上げた。 「や〜んイエガー様、なんだかカワイイのだわん〜」 「こらドロワット！し、失礼だぞ」 「えーでもぉ……カワイイイエガー様もステキだよー？ゴーシュちゃんだってずっと見てたじゃない」 「見っ……それは、その……っ」 「スタップ、スタァップ。バトルはノーですよ、２人とも」 イエガー様は苦笑混じりにそんなことを言ったかと思うと、 「あっ!?」 ゴーシュのクレープにはくり、と噛みついた。 「ああーっ!?」 ドロワットにも同じ事をしたらしい。 ２人はあ然と、イエガー様を見上げた。もぐもぐと口を動かすイエガー様を、まじまじと。 なんだろう、めちゃくちゃ……かわいい。 イエガー様は口の中のものを飲み込むと、にやりと笑った。 「バトルしようとした２人にペナルティでーす」 「イエガー様……クレープお好きなんですか」 「この店のクレープはベリィデリシャスですからね」 『この店』？ゴーシュは首を傾げる。声に出して聞いたのはドロワット。 「あーひょっとして、キャナリ姐と来たことがあるむん？」 「ん？………さて、どうでしたか」 「あ、とぼけようとしてもダメですよー」 「ハハハ、ではミーのコレがナッシングになるまでのクェスチョンならアンサーしましょう」 そう言って、イエガー様は手の中のクレープにはくり、と噛みついた。 ゴーシュはドロワットと顔を見合わせた。イエガー様がキャナリ姐の話をしてくれる！ と、思ったのも束の間。 「え、ええーっ、イエガー様いつの間にそんなに食べちゃったのん!?」 「あの、ちょっと、早いですよ……っ」 おかしい。いつもの上品さはそのままなのに、どんどんクレープは小さくなっていく!? そうこうする間にもどんどん減っていき、結局わけがわからないうちにイエガー様の両手は空っぽになった。 「はーい、タイムオーバーでーす。２人とも、早くイートしないとサンセットしてしまいますよ」 からかうような笑顔も素敵だけれど。 ゴーシュとドロワットは慌ててクレープにかじりつく。 端をイエガー様にかじられていたことを思い出したのは、全部胃に収めてしまった後だった。 もちろん、顔から火が出るほどの思いをしてイエガー様にからかわれたのは言うまでもない。 それからイエガー様は、遅めのランチに連れていってくれた。 市場で買ったリンゴをかじりながら昼下がりの街を歩き、他愛もない話をした。 それは仕事のこととはまったく関係なく、２人がまだ行ったことのない小さな村の郷土料理のことや独自の文化のこと、海に住む不思議な魚や森に住む魔物の生態のことなど様々だった。 イエガー様は何でも知っていて、聞いていて飽きることはなかった。 ゴーシュ達には、聞いてみたいことがあった。 イエガー様は２人と出会う前はどんなことをしていたのか、とか。キャナリ姐のこと、とか。 でも、いつか聞ければいいと思った。 だって、こんなに上機嫌なイエガー様は珍しい。 まるで子供のようにはしゃぎ、笑顔を見せてくれる。 だから隣を歩くのが、今日はとりわけ嬉しかった。幸せ、と言ってもいい。 ふと、イエガー様が足を止めた。 視線の先を追うと、幼い少女が１人、泣きじゃくっていた。 「何かあったのでショウかね」 「私、聞いてくるのねん」 ドロワットが駆けていき、その前にしゃがみ込む。 それから振り返り、手を振った。 ゴーシュ達が近づくと、ドロワットは立ち上がり、頭上を指さした。 「このコの帽子が引っかかっちゃったんだけど、ネコにイタズラされちゃいそうで困ってるんだって」 ひときわ大きな街路樹の枝が空を覆う。その隙間に確かに、白い物と茶色い塊が引っかかっていた。 「悪戯というより……」 「あのキトゥン、ゴーダウンできなくなっているようですねぇ」 風が枝葉を揺さぶる。ニャー、と頼りない鳴き声が降ってきた。 「イエガー様」 「取ってきていいかなん？」 イエガー様がにっこり笑って頷いた。ゴーシュの背がぴん、とのびた。 「行くぞ、ドロワット」 「アイサーなのだわん、ゴーシュちゃん」 ゴーシュは狙いを見据えると、膝を折って力をため、一気に跳んだ。 ゴーシュが跳んだと同時に、ドロワットも跳んだ。打ち合わせなど必要ない。何もしなくても、ゴーシュとドロワットの呼吸はぴったり同じだから。 １本目の枝を蹴って、次の枝へ。次の枝を蹴って、目的の枝へ。 見下ろすと、いつのまにか人だかりができていた。目立ちすぎただろうかと心配になったけれど、イエガー様が笑っていたから、問題ないのだろう。 ゴーシュが帽子を、ドロワットが子ネコを抱えて地面に戻る。 着地で膝をつくや、拍手がゴーシュ達を包みこんだ。 立ち上がり、思わず後ずさる。背中が何かにぶつかった。イエガー様が微笑んでいた。 「ご苦労サマでした。２人とも」 それだけで、ゴーシュは幸せだった。どんなにたくさんの拍手よりも、イエガー様が褒めてくれるのがいちばんうれしい。 ゴーシュは少女に近づき、膝をついた。 少女は頬を涙で光らせながらも、もう泣いてはいなかった。 「ほら」 ゴーシュは帽子を差し出した。 少女の大きな瞳がこぼれ落ちるんじゃないかというくらい見開いていた。それこそ、鳶色の瞳の中にゴーシュが映っているがよく分かるくらいに。 少女がいっこうに手を出そうとしないので、ゴーシュは小さな手を取って、その上に帽子を載せてやった。 「今度は気をつけるんだぞ」 少女は帽子のつばをつかんだ。そして、まるで花開くように、ぱあっ、と笑顔になった。 「ありがとう」 舌足らずな口調に、ゴーシュもつられて微笑む。そんな自分に気づいて、ふと気恥ずかしくなった。 おそるおそる振り返れば、ドロワットが子ネコに頬ずりしていた。イエガー様が大仰に道化て周囲の笑みを誘っている。 気づかれていなかったことにほっとして、ゴーシュは少女に小さく手を振った。少女のぷくりとした小さな手が振り返してきた。 背中でドロワットの声が聞こえた。 「にゃんこちゃん、バイバーイ」 ゴーシュはきびすを返し、２人の元へと戻った。 そのまま街の人々に手を振って、その場を離れる。 風が吹いた。 ゴーシュはちらと振り返った。 少女はしっかりと帽子のつばを握りしめている。 「ワッツハプン？どうしましたか、ゴーシュ」 イエガー様がちらと視線を寄越してきた。からかうようで優しい眼差し。でもゴーシュは自分でも意外なくらい、素直に返すことができた。 「イエガー様」 ゴーシュは前を向いた。天に向かってそびえる“御劔の階”は、まるで昔から、“ただの一度も変わらない”というように泰然と空を差し、青空に力強い光輪を描いていた。 「ちょっと、思い出してしまいました」 「何をです？」 「あんな目を、私もしていたのかな、って」 あの“戦争”の前まで。 ゴーシュの世界には『幸せ』しかなく、そんな中で出会った『彼女』はひときわ眩しく、一目で憧れた。 きっとあの時の自分は、あの少女のように、ただ無心に瞳を輝かせていたのだろう。 「先程のゴーシュの瞳も、キャナリとそっくりでしたよ」 ゴーシュは驚いて隣を歩くその人を仰ぎ見た。 キャナリと似ている、と言われたことに驚いたのではない。いや、驚いたけれど、それ以上に。 彼が自分から『彼女』の話を持ち出したことに驚いたのだ。 「イエガー様」 「とはいえ、ユーのように照れたりストレンジフェイスになったりは、しませんでしたけれどね」 「みっ、見てらしたんですか!?」 「ゴーシュちゃんけっこう照れ屋さんだもんねぇ」 「ドロワット！」 ドロワットは跳ねるようにイエガー様の前に顔を出した。 「イエガー様、もっとキャナリ姐のお話きかせてほしいんだわん。ゴーシュちゃんが似てるなら、私も似てる？」 「ゴーシュはゴーシュ、ドロワットはドロワットですよ。さーて、次はどこへ行きましょう？」 「あー、またはぐらかしたー」 ふとゴーシュは足を止めた。 なぜ足を止めたのか──止まったのか、ゴーシュにも分からなかった。 分からないまま、けれど、追わなくては、という思いだけに駆られる。 足を踏み出そうとした時、一迅の風が吹きぬけた。 はらり、と頭の右側が軽くなった。手をやって、結い上げた髪が片方ほどけたのだと気づいた。 過ぎ去った風を見送って視線を前に向けると、少し先で２人が立ち止まってゴーシュを見ていた。 「ゴーシュちゃん、髪ほどけちゃってる！」 「おやおや」 ゴーシュは２人に歩み寄りながら、左の結び目に手をやってするりと解いた。手櫛で無造作に髪を梳く。癖毛なので広がってしまうのは気になったけれど、結び跡が紛れるのはありがたかった。 「別に、このくらい。両方取ってしまえば問題ありません」 イエガー様がゴーシュの手から髪紐をつまみ上げた。 「ふぅむ……先程木の枝でカットしてしまったのかもしれませんね」 「ゴーシュちゃん、スペア持ってる？」 「宿に戻れば、荷物に入っている」 「ふうん」 ドロワットはつぶやくと、ふいにイエガー様の前に飛び出して、かわいらしく小首を傾げて見せた。 「イエガー様、私、ゴーシュちゃんとおそろいの髪留めが欲しいでーす」 「ドロワット」 「ダメですか、イエガー様」 ゴーシュは言えなかった。ドロワットはたぶん、分かって言っている。 少女の髪留めなんて、クレープとそう大差ない値段だ。 なのにイエガー様は一瞬、困ったような表情になったのだ。 それは本当に、一瞬のことだったのだけれど。ゴーシュも、たぶんドロワットも、もう何年もお側で見てきたから、気がついた。 クレープは○。リンゴは○。髪留めは×。 美味しい料理の話は○。生き物の話も○。でも、昔の話は？。キャナリ姐の話は……△？ イエガー様のお考えは分からないことばかり。 イエガー様にはいつだってお考えがあるのを、ゴーシュ達は知っている。 でも、イエガー様。 「形ある物」と「過去」を残さないなんて、まるで、幻のように消えてしまうつもりでいるようです──。 それでもゴーシュは、イエガー様を困らせたくはなかった。 けれどドロワットは、一歩踏み込もうとしていた。 「私、カワイイのが欲しいのねん。ね、お願い、イエガー様ぁ」 イエガー様は小さく笑っていた。困った様子はもうなかったけれど、どこか、淋しそうにも見えた。 「ドロワット、アクセサリーはスペシャルなボーイフレンドからプレゼントされるものですよ」 「じゃあピッタリなのだわん。だって私ら、“デート”してるんでしょ？」 「ずいぶんとオールドなボーイフレンドですけどね」 「イエガー様は誰よりも素敵でかっこいいから、いいんです！自信持っちゃっていーんですよっ！ね、ゴーシュちゃん」 「そ、そうですよっイエガー様は世界で一番す………」 我に返り、はく、と空気を噛んだ。 今、何を口走ろうとした、自分。 イエガー様は苦笑混じりに溜息をついて、肩をすくめた。 「オーケイ。ホワイトフラッグ揚げます。降参です」 そうしてゴーシュの髪を撫でてくれた。 「レディをこのままにしておくのもバッドですしね」 「きゃーんありがとーイエガー様ぁ！」 ドロワットがイエガー様の左腕に飛びついた。そのてらいのなさは、ゴーシュにはどうしても真似できない。 と、イエガー様が右の肘を折って、ゴーシュの前に差し出した。 「お手をどうぞ。レディ」 いつもの道化た、でもちゃんとゴーシュを見てくれるイエガー様の微笑。 ゴーシュはそっと、その腕をとった。 ずいぶんと恥ずかしかったけれど、放すことはできなかった。 イエガー様は２人分の髪留めを買ってくれた。 初めはゴーシュ達に選ぶように言ったのだけれど、ドロワットが「イエガー様に選んでほしい」とくいさがり、ゴーシュもそこは勇気を出して頼んだら、結局は２人それぞれに選んでくれた。 ゴーシュは買ってもらったばかりの髪留めで、いつものように髪を結い上げた。 どうしようと悩んだものの、思い切って聞いてみた。 「イエガー様。これ……似合ってますか？」 「オフコース。ビュリホなレディですよ、ゴーシュ」 「ええええと………ありがとう、ございます」 キャナリ姐はどうだったのだろう、こんな褒められ方をされても平気だったのだろうか。 頬も耳の先も瞼も熱くて困るというのに、イエガー様はぽんぽん、と頭をなでてくださった。 大きな掌はとてつもなく心地よくて、“幸せ”だった。 日が暮れて、建物の窓に明かりが灯りだした。 店の軒先に吊されたいくつもの魔導器がそれぞれに光を生み出し、街が昼間とは違う別の顔を見せた。 ディナーもすませていきましょうというイエガー様について、１件の店の扉をくぐった。 見た限りでは貴族の姿はなく、市民ばかりのようだった。ギルドの一団らしき集団も見られた。 ほの暗く、けれど灯りは暖かい。 どのテーブルも賑やかで、それでいてちっとも鬱陶しくはなかった。 イエガー様が注文した料理はどれも美味しかった。 美味しいかと聞かれたので「美味しいです」と答えると、イエガー様は嬉しそうに笑った。 酒のグラスを時折傾けながら、優しい瞳でゴーシュ達を見つめていた。 それはやけに照れくさくて、ずいぶんと幸せで、けれど少しだけ、不安だった。 ずっと、気にはなっていたのだ。 今日のイエガー様は、どこかおかしい。 何が、とは言えない。機嫌が良いから？ゴーシュ達に優しいから？いや、道化のように不必要に明るく振る舞うなんて、よくあることだ。 イエガー様のお考えは、ゴーシュには分からない。分からないけれど、意味があるのを知っている。 知っているから、イエガー様の望む通りにしようと決めている。 信じている。信じているのに。 棘のように心の隅にひっかかるものがある。 でも、信じているから、ゴーシュは気にしないようにしているのだけれど。 ふと、ゴーシュはナイフを扱う手を止めた。 脳裏をよぎったのは、一通の手紙。 何の変哲もない、白い封書。隅に一文字、「A」とだけ書かれていた。 それは、イエガー様に服従を強いる唯一のもの。ゴーシュは「A」の手紙が大嫌いだった。イエガー様の微笑がイエガー様でなくなるような気がするから。 けれど何か、違った。違和感があった。気がする？気のせいなんかじゃない。 何がおかしい？ ゴーシュは靄のように形を為さない違和感の正体をつかもうと、記憶の奥底へと潜ろうとする。 いつものように封を切って、イエガー様は目を通して── そうだ、あの時、イエガー様は── ふるり、と、ゴーシュの背が震えた。 イエガー様と目があった。 口を開こうとした矢先だった。 突然、店内に盛大な歓声が沸き上がった。 軽快な音楽が始まった。 テーブルのあちこちで人々が立ち上がり、踊り出した。 「うわあ、たっのしそー！」 ドロワットが声をあげた。 と、イエガー様が立ち上がり、ドロワットの手を取った。 そうしてもう片方の手をゴーシュに差し出した。 「レッツ・ダンスでーす！カモン、ゴーシュ！」 イエガー様は笑っていた。 ゴーシュが動けずにいると、イエガー様はゴーシュの手を取り、引っぱり上げた。 イエガー様はゴーシュとドロワットを連れて、踊る人々の中へと連れていった。踊り狂う者共は仲間が増えるたびに高揚を増し、ゴーシュ達も熱烈な歓迎を受けた。 「イエガー様ぁ、私ら踊ったことないんだわん！」 「ステップなんてフリーです。オールフリー、ハートですよドロワット」 ゴーシュは右手をイエガー様と、左手はドロワットとつないだ。３人でただ輪になって、その場をくるくると回った。時々音楽に合わせて、イエガー様が器用にドロワットとゴーシュをくるりと回した。こんなに混雑しているのに、不思議と誰ともぶつからなかった。 ドロワットが歓声を上げてステップをまねていた。 イエガー様が笑っていた。声を立てて、笑っていた。 「ゴーシュ！」 イエガー様は笑いながら言った。 「君の心のままでいいんですよ……！」 だから、ゴーシュも笑った。 最後まで笑顔であり続けた。 手紙を見たイエガー様は、『微笑んで』いた。 それは、ゴーシュが今まで見たことのない『微笑』だった。 ほっとした──一番近いのは、そんな言葉だろうか。 そんな顔を、ゴーシュは知らない。 知らないから不安になる。信じているのに、不安になる自分が嫌だ。 ねえ、安堵しながら、どうしてそんなに哀しい瞳をするの？ 宿に戻ると、イエガー様は２人を部屋に入るまで送ってくださった。 額にお休みのキスまでしてくれた。 「グンナイ。よい夢を」 なんとなく分かってしまった。 だから、ゴーシュもその言葉を言わなかった。 ──また、明日。 ゴーシュはイエガー様の望む通りにする。 でも、イエガー様は言ったのだ。 心のままに──だからゴーシュはその通りにする。 翌朝、イエガー様の姿はどこにもなかった。 ギルドの配下の者達も消えていた。 ゴーシュはいつものように髪を結い上げた。 イエガー様に買ってもらった髪留めが、赤い髪の上できらりと輝いた。 「行くぞ、ドロワット」 「行くって、どこへ？」 半泣きになっていたドロワットに、ゴーシュは手を差し出した。 心の底から、彼女と２人であったことに感謝した。 勇気を出せ。 立ち止まるな。 思考を止めるな 「なかった」ことになど、させるものか。 私達はいつだって、あなたの隣を歩いていく。 手が繋がる。 ゴーシュは告げた。 「ザウデだ」

2011.5.4

本編の隙間捏造なのが自己満足なのはもう開き直るとして。 ぶっちゃけですね、 イエガー様＆ドロワットの口調が分からない〜っ!! えー…反則技の舞台外解説を。 〈その１〉 ３人はヘラクレス下船後、帝都付近か城潜入して “御劔の階”イベをやり過ごし、 殿下達が戻ってきたのに紛れて帝都に潜り込んでました。 ユーリ達がザウデに向かったのは帝都解放の翌日なので、 閣下がイエガー呼んだのはその２，３日後かな、と。 ３人デートは、そのくらいの時期です。 …という捏造設定があります(^-^; 〈その２〉 置いてかれたゴーシュがイエガーの行き先を推測したのは、 アレクセイとユーリ達がザウデに向かったのを知っているから。 あと、イエガーが死にたがってそうだったから。 どうやっていくかは…どうするかなあ 後続フレン隊の船にでも密航するかな？ あの２人ならボートでも海原を渡っていきそうです(^-^; すみませんすみません も、ホント隙間埋められて自己完結自己満足なんです。 「えーこんなんじゃないよー」 と思われても、穏便にそっとしといてやっていただけると恩にきます。