寄り道 〜夢現〜

微かな軋みとともに、扉が開いた。 気配に対して足音はない。 「寝たの？おじさま」 「ああ」 ジュディスはユーリの隣にやってくると、軽く腰をかがめて、ベッドの住人を覗きこんだ。 「フフ、かわいい寝顔」 「それ、誉め言葉？」 「ええ。そう聞こえなかった？」 「受け取る奴によるんじゃないか？」 ユーリが顔を向けると、ジュディスは「そう？」と、本気で不思議だと言わんばかりに小首を傾げていた。 ユーリは軽く肩をすくめてみせた。 「ま、１日くらいいいよな」 「そうね」 二人ともに口を閉ざしてしまえば、あるのは静寂ばかりだ。けれど不思議と、それが重いと感じる事はなかった。 ジュディスはそっと、ベッドの端に腰を下ろした。 「疲れちゃってたのね。自分のしたい事に一生懸命で、一生懸命すぎて、他の事が分からなくなってしまうくらい」 「‥‥誰か他にも、そういう奴がいたのか？」 「あら、どうして？」 「違うなら、聞き流してくれ。ただの勘違いだ」 「いやよ。だって、その通りだもの」 あなたって何でも分かってしまうのね、そう言って、ジュディスはニコリと微笑んだ。 微笑んで、眠る男の顔を見つめた。 「似てると思ったのよ」 「誰に」 「父に」 ジュディスの微笑は変わらない。 魔動器の研究をしていたという、ジュディスの父親。 彼もまた、自身の追い求める物だけを見続けていたのだろうか。 「ジュディに父親扱いされたら、おっさんダメージでかいだろうな」 「そういうわけではないのだけれど」 言葉の割に、ジュディスの口調も笑みもちっともすまなそうではない。それは皮肉げに唇の端を吊り上げているユーリも同じだ。 ジュディスは軽く肩をすくめてみせた 「ほんと‥‥しょうがないわね、男の人って」 「おいおい、俺も一緒くたか」 「違うと思ってる？」 「違うだろ」 「そうかしら？少なくとも、あなたのお友達はそう思っていると思うけど」 「はあ？それ、そっくりそのまま、あいつに返してやるって」 「じゃあ、みんな同じなのね」 「俺は──」 言い返そうとして、けれどジュディスが口元に当てた人差し指に、ぐっと飲み込んだ。 ちら、と視線を流せば、幸いにも起きた気配はない。 ジュディスは悪戯っぽく微笑んだ。 「そう言われたくないなら、無理はしないことね」 「‥‥へーへー」 奥歯に何か挟まっているかのような返事とともに、ユーリは椅子から立ち上がった。 正直なところ、心当たりがないわけではないのだ。だからこそ、うっかりつついて藪蛇になるのはごめんだった。 「あら、もう行くの？」 「どうせ明日まで起きやしねぇよ」 「そうみたいね」 ジュディスも軽やかに立ち上がった。 戸口に向かうユーリのあとを追う。 「ねえ、本日の料理長さん。今日の晩ご飯はなにかしら」 「ミートソース」 「リタが泣きそうね」 「泣くじゃなくて、吠えるの間違いだろ」 そして高レベルの術がおまけについてくる。 「どっちでも私はかまわないわよ。標的はあなたなのだから」 「じゃあ、ミネストローネとサラダをつける。なんならスコッチエッグでもいいぜ」 ジュディスが笑った。ユーリが挙げたメニューの材料は、全部『トマト』だ。 「明日までに、どれだけトマトを減らせるかしら」 「協力しろよ。明日また買わなきゃならないんだからな」 伝えたのは、「明日にならないと(店に)入らない」「だから、明日買いに行く」ということ。 間違ってはいない。ただ、「明日にならないと入荷しない」くらい買い込んだ客が「自分達」だったという事実が裏にあるだけだ。 それは留まるための理由。一日費やす事を気にさせないため、にしては、ふざけた方便ではあるけれど。 嘘は言っていない──まだ、『嘘』じゃない。 明日、トマトを買えばいい。 ならば、手持ちのトマトを減らせばいい。そう、今日中に。 そうして、『嘘』を『本当』にしてしまえばいい。 「別にかまわないわよ。トマトは美容にいいって言うし」 「ジュディが前向き思考で助かる」 扉を開いて、先にジュディスを通し、ユーリは外へ出ようとして、ふと、足を止め、振り返った。 ──‥‥‥‥‥。 「ユーリ？」 「ああ‥‥今行く」 静かに、扉がしまる。 たゆたう心地に身をゆだねたまま、遠いところに声を聴いたような気がした。 ──また、あしたな。 そうか、『あした』があるのか。 だったらもう少し、寝ていてもいいかな。 次に目を覚ました時には、きっと── そんなことを考えていた事など、朝になったら忘れてしまうのだけれど。 目覚めた彼は、驚いて、そして、まいったなあと、笑みを浮かべるのだ。 その時の気分が、ひどく心地よく、暖かく、幸せだったものだから。

2009.3.22

そして補給バッチリ・HP&TPバッチリ！で、 ノードポリカへ向かうわけです。 星蝕みさん、待たせてごめんね(^-^;)