寄り道
〜到着〜



橋を渡れば、そこはもうダングレストの町中だ。

個性と活気が行き交う大通りの端で、それぞれの予定を確認した。
ユーリとエステルは買い物へ。
カロルはユニオン本部へ情報収集。
ジュディスは“始祖の隷長”ともう少し交信したいことがあるという。
レイヴンはといえば、
「た、大将、おっさんも買いたい物あるから、一緒に行ってもいい?」
「何がいるんだ?一緒に買ってきてやるよ」
「いや、そこまでしてもらうほどのものじゃ‥‥あ、そうそう、ユニオンに仕事溜まってると思うのよね、ほら、おっさんドンの右腕だったし。だから――」
「特定の人間でないとダメってんじゃ、“天を射る矢”の未来は危ないな。ま、どうしてもって言うなら、カロル、おっさん専用の仕事があるか、確認してきてやれ」
「うん、分かった」
「ジュ、ジュディスちゃあんっ」
「おじさまは大事な用があるって聞いているけど?」
それはそれはきれいな笑顔で背後を示され、おそるおそる振り返れば、
「おっさん」
リタが、それはもう恐ろしい顔で、仁王立ちしている。
逃げ場はなかった。
「リタ、いつもの宿な」
「分かってる。ほら、おっさん。行くわよ」
「おっさんホント、元気なのに〜っ」
「元気なら歩け!あ〜もうっ、うざったい!」
リタが、なかなか動こうとしないレイヴンの腕を、鷲掴みにして引っぱった。
見た目はどうあれ、やっていることは「駄々をこねる五歳児とその母」だ。
「ラピード」
ユーリが声をかけると、片目傷の犬はしなやかに体を揺らして後を追った。
「レイヴン、なんであんなに嫌がるんだろうね」
ラピードがレイヴンに寄り添っているのを見て、カロルが言う。
「そりゃ、何か後ろめたいことやってるからだろ」
「そうなの?」
道行く誰もが、その珍道中に振り返る。リタには悪いが、仲間全員、他人のふりをする気満々だ。
「ユーリは知ってるんです?」
「いや」
振り仰いだエステルに、ユーリはおどけたように眉を上げてみせた。
「でも、おっさんがなんか隠してるってことと、エステルがその理由を知ってるってことは、今ので分かった」
「え?」
「知ってるんだろ?」
覗き込まれて、エステルは失言に気づく。
あ、と口元を押さえると、カロルが「エステル、知ってるの!?」と声をあげ、ユーリが声を立てて笑った。
「別にいいさ。どのみちリタがバラしてくれるだろうからな」
「‥‥でもユーリは、気づいてはいたんです?」
ユーリは悪戯っぽく細めた瞳を隣へと流した。
「ジュディは?」
「私は、あなたが彼を気にしているから、何かあるのかしら、ってくらいかしら」
「僕、ぜんぜん気づかなかった‥‥」
俯いたカロルの頭を、ユーリはポンポンと軽く叩いた。
「ホンット、しょーがねぇおっさんだよな」
異を唱える者は、誰もいなかった。



買い物を終えて、ユーリとエステルが宿に戻ってくると、あてがわれた部屋のドアを開けるより先に、甲高い怒声が飛び出してきた。
「馬っ鹿じゃないのっ!?ああもう、信じらんない!」
二人は顔を見合わせた。
「‥‥どうしたんでしょう?」
「おーい、リター」
ノックはしたが、案の定返事はない。
勝手に開けて中に入ると、ベッドの端に腰かけたレイヴンが、それはもう情けない顔で訴えてきた。
「た〜いしょ〜、じょ〜ちゃあんっ、も、助けて〜」
「助けてって、おっさん座ってるだけだろ」
エステルがはらはらしたように両手を組み合わせて駆け寄った。
「レイヴン、大丈夫ですか?痛いんですか?」
「痛くはないんだけど〜」
続きはリタの叫声が遮った。
「あぁあ〜もうっ、ここ、ループしてるじゃないのよ!あ、ここも!こっちは断線してるし!」
「さっきからこんな調子で、おっさんの心はもうずたぼろ〜」
泣き言を言うレイヴンに、エステルはそういうことかと苦笑する。
上半身を脱いだレイヴンの左胸には、深紅の心臓魔動器が存在を主張していた。今はその前に、魔動器特有の術式が展開している。
宙に浮かぶ術式に、リタの小柄な指先がせわしなく踊る。不思議な色に輝くそれは、リタの真剣な表情を照らし、刻々と様相を変えていた。
ユーリは、レイヴンと背中合わせに、ベッドの反対側に腰を下ろした。
「リタ。長くかかりそうか」
「‥‥あたしを誰だと思ってるの。こんなの、たいしたことないわ」
「そのわりにはずいぶん溜まってるみたいだな」
「‥‥‥‥だってねえっ!?」
リタはぴた、と手を止めると、だんっ、と床を踏みならして椅子から立ち上がった。

「勝手に魔動器いじってたのよ、この馬鹿!」

吐き捨てるようにそう言って、目の前の「馬鹿」をぎりりと睨みつけた。
「ちょっと魔動学かじってるからって、風属性の低レベルな魔法しか使えないド素人が手ぇ出していいもんじゃないのよ、魔動器ってのは!それも心臓魔動器なんて繊細なものをよ?馬鹿以外の何者でもないわ!自分の心臓、自分でいじるヤツがどこにいるってのよ!?ありえないわ。自殺行為よ。死にたいのかっての!」
罵声を浴びせられた20才も年上の当人は、すっかり小さくなっていた。言い返さないところを見ると、すでに試みて倍返しにあったとみえる。
それにしても、リタにかかればレイヴンの強力な上級魔法も「低レベル」の一言で括られるのか。
ユーリとエステルは顔を見合わせて苦笑する。
「ま、自業自得だな」
「もう反省しました〜。だからカンベンしてよ〜」
「おっさんのくせに泣くな!うっとうしい!」
即座にリタの拳が飛ぶ。
「なあおっさん、なんで勝手にいじったんだ?」
「調子が悪かったから、だって」
答えたのはリタだ。口を挟ませる気すらないらしい。
「それでいじってみたら、もっとおかしくなったってんだから、どうしようもないわよ」
「おかしくはなってないって。良くもならなかったけど――」
「これでおかしくないなんて、ありえないって言ってるでしょ!あたしを誰だと思ってるの!?なめんじゃないわよ!」
「でもおっさん、ちゃんと戦ってたでしょーが」
「ガマンすんなって言ってんの!」
またも拳を振り上げたリタに、今度はサッと両手を交差させて防御の構えをとる。
ユーリはのんびりと後ろ手に手をついて、のけぞるように天井を仰いだ。
「息切れ、貧血、疲労の蓄積具合‥‥あと、偏頭痛ってところか?」
「え‥‥」
驚きの視線が、ユーリに集中した。
なかでもレイヴンは瞳を見開き、めったにない驚愕を露わにした。
「なんで‥‥」
「なんでって、そりゃあ戦闘の後で、あんだけ青い顔してたり呼吸が変だったりすりゃあな」
リタとエステルは顔を見合わせた。
少なくとも二人は、気づかなかった。そもそも戦闘後に他人をそこまで観察する余裕はない。
「ユーリ、すごいです」
「だからあんた、休憩とるタイミングがちょうどいいのね‥‥なんか悔しいけど」
「そこで悔しがられる理由がわかんねぇよ」
ユーリの含むような笑みに、感情のやり場に迷ったのだろう、リタは軽く唸った末、拳を目の前に勢いよく飛ばした。
拳は見事、標的の頭上に命中した。
「ぁいたっ!?」
「痛くて当然よ。生きてるんだもの。良かったわね、あんた、このままだったら近いうちに死んでたわよ」
「でもさあ、そりゃちょっとは息切れとかしたけど、普通に走ったり戦ったりできたし――」
「それが素人の浅はかさっていうのよ!まだ分かんないの!?」
リタが再び振り上げた拳に、レイヴンが反射的に身を竦める。
けれど、なかなか拳は降ってこない。
おそるおそる顔を上げ――レイヴンは、苦笑した。

リタが、拳を上げたまま、睨みつけていた。
真っ赤な頬と、険しい眼差し――それは、泣き出す一歩手前の、顔。

「‥‥ド素人が、勝手なことすんじゃないわよ」
「うん」
「こんな繊細なの、あたしだって難しいのに、ちょっと間違えたら、死んじゃうかもしれないのに、そんなね、簡単な気持ちで、いじっていいもんじゃないのよ」
「うん」

立ち上がり、固まった拳を両手で包み込む。
小さな拳だった。
そっと下ろす。
そうして、己の心臓の術式ごと、小さな体を抱きしめた。

「な‥‥に、すんの、よ‥‥っ」
「うん。ごめんね」

信じなかったわけじゃない。
でも、頼らなかった――それは、『存在』を『否定』したのと同じこと。

「あ‥‥謝ってほしくなんてない!」
「じゃあ、ありがと」

全力で怒ってくれた。
そして、『明日』も『生きられる』ようにしてくれた。

「お礼言われたいんじゃないし!」
「そっかそっか。じゃあ好きなだけおっさんを殴るといいや」
「自分を大事にしない人は嫌いよ!」
「さっきまでおっさんポカポカ殴ってた子が言うかね」
「うっさい!」

答えるかわりに、ポンポン、と、あやすように背中をたたいてやる。
肩口に埋めた顔が、ギュッと額を押しつけてくる。
温かい体温が、うらやましくもあり、それと同じくらい、愛しい。

「‥‥ところでねぇ、リタっち。おっさんこのまんまでいると、心臓関係なしにカゼひきそうよ?」
「あー、おっさん、ハダカだもんな」

ユーリの相槌に、リタは渾身の力で相手を突き飛ばし、弾かれたように後ずさった。
もちろん、顔は真っ赤だ。ただし、先程までとは種類が違う。
エステルが困ったように小首を傾げた。
「ユーリったら。二人とも、いじわるです。せっかくリタが素直になっていたのに」
「ああ、ソコなんだ」
「ソコじゃない!絶対ちがうっ!!」
ユーリとレイヴンが声を立てて笑う。

そう、笑えるのも、「生きている」証拠。

レイヴンは、すとん、とベッドに座り直した。
「で?リタっち、これ、もういいの?」
「え‥‥?」
「おっさんいろいろいじっちゃったしさ、手間かけて悪いんだけど、きっちり調整しちゃってくれる?」
「‥‥‥‥あ‥‥当たり前でしょ!」
「さすが、天才魔動少女」
「うっさい!ちょっとだまってて!」
リタは憤然と向かいに腰を下ろすと、目の前にさらけ出された術式を動かし始めた。




2009.1.11



気がつけば…あれ、レイリタ?(^-^;)