寄り道　２ 〜移動〜

風が、矢のような速さで船の上をすり抜けてゆく。 ――だめですよ無理しちゃ。胸の魔動器の調‥‥ 適当にごまかしはしたが、さて、どこまで欺けたことか。 レイヴンは船室へと続く扉の脇に座り込んで、過ぎ去っていく雲をぼんやりと見送っていた。 隣には、エステルがお行儀よく膝を折って座っていた。 「レイヴン」 「はいよ」 そして苦笑まじりに、立てた人差し指を己の口元にちょん、と当てて見せた。 不服そうにしながらも、けれどエステルは、それ以上を言わなかった。 「でも、ユーリは気づいてると思います」 「そう思う？」 「はい」 「そう思うかあ」 レイヴンは笑みを残したまま、無造作に前髪をかきあげた。 挙げた腕を包む幅広の袖が、風にあおられて勢いよくはためいた。 そうだろうなあ、と思う。あの、やたらと鋭い「あんちゃん」は。 今このタイミングで「ダングレスト」と言い出した。 それは、十中八九、「そういう」ことだろう。 適当に茶化して、はぐらかして、欺いて。 十年間、それが『レイヴン』だったはずなのに。 この連中と出会ってから、そいつは見る間に崩れて、違う形になっていく。 「なあ、嬢ちゃん」 「はい？」 「おっさんさあ‥‥足、引っぱってるかな」 エステルはかわいらしく首を横に振る。 「心配は、かけてます」 「‥‥そっか」 『仲間』だから。 「心配、かけないでください」 「かけたくないから、黙ってて？」 「かけたくないなら、一人で抱え込んじゃダメです」 「それ、うちの大将にも言ってやってよ」 「レイヴンもですよ」 「ハハ‥‥はぐらかされてくれないかぁ」 『レイヴン』の『命』の所有権を主張した彼らは宣言通り、まるで枯れた花に水を与えるように、『信頼』という水を注ぎ込んだ。 それはとても心地よく、花はいつしか思うようになっていたのだ。 彼らのために。 彼らが彼らの未来を見るために。 生きたい――と。 「まあ‥‥そうね、本当にダメだと思ったら、ちゃんと言うから。言わないうちは大丈夫だからさ。そんなガラス扱うみたいにしてくれなくて大丈夫よ」 「嘘」 「嘘じゃないって」 「じゃあ、その魔動器は何なんです？」 あー、と唸って、レイヴンはがっくりとうなだれる。 「‥‥バレてるっぽい？」 「バレてます」 「あのさ‥‥‥なんで知ってるわけ？」 「ウンディーネが教えてくれました」 「はいはい」 ウンディーネ。 つい先刻誕生したばかりの、水の精霊。 元は、“始祖の隷長(エンテレケイア)”ベリウスだった。 「あいかわらず、人間好きというか、おせっかいというか‥‥」 「他人のせいにするなんて器が小さい、だそうですよ」 「さいですか」 具現化していない精霊は、レイヴンには見えないし感じられない。 ただエステルのみが、感じ、声を聞く。そしてどうやら『なかよし』らしい。 「あ、じゃあさ、これ、精霊になんとかしてもらえたりしない？」 「属性が違うので、無理だそうです」 「あ、そう」 そうそううまくはいかないものだ。 「おっさん」 ユーリが近寄ってきた。 「ダングレストでなんか用事あるか？」 視界が暗くなったと感じたのは、黒髪黒衣のせいだけではないだろう。まったく、見上げるにはつくづく向かない長身だ。 「用があるのは大将でしょー」 「気ぃきかせてやってんだろ。ないならないで、このあとの予定も立てやすいんだけど？」 へぇ、と思った。 やはり少しは、ノードポリカを気にしているのだろうか。 レイヴンは顎を撫でながら答えた。 「ん〜‥‥特には、ないねぇ」 「ユニオンに報告とかは？」 「いや、別に」 「ハリーの様子見に行くとか」 「おっさん、ハリーの保護者じゃないんでね」 「ドンの墓参りとかは？」 「ノードポリカほっぽって行ったら、どやしつけられちゃうわよ」 「んじゃ、仲良しのおねーさん達に会いに行くとかは？」 「それもいいけど‥‥長居できないんじゃ、かえって寂しい思いさせちゃうしねぇ」 「そっか」 聞かれるままに答えたが、なぜこうも具体的なのか。 ユーリの不敵な笑みに、しまった、と思ったが、後の祭りだった。 「じゃ、『凛々の明星』からおっさんに命令。ダングレスト着いたら、その心臓魔動器(カディスブラスティア)、リタに調整してもらうこと。リタには話つけてあるから」 「え‥‥えっ、ぇええぇえっ、いや、ちょっと‥‥っ」 「用事、ないんだろ。暇だよな。まさか逃げねぇよなあ？ここで逃げたらリタに上級魔法くらうの、覚悟しないとな」 はめられた。 他に用事を思いつこうにも、考えられるものはすべて言質を取られている。 レイヴンは作り笑いを引きつらせて後ずさった。といっても背後は壁、逃げ場はない。 「い、いいわよぅ、おっさんチョー元気だし！」 「そりゃよかった。そんならすぐ終わるだろうな。どこもおかしい所がなけりゃあな」 「な、ないない！だからほらっ、リタっちの貴重な時間をわざわざ使わせるのは悪いじゃない？」 「それはないだろ。魔動器マニアなんだし。むしろ喜ぶんじゃないか？ま‥‥妙な具合にいじくられてたりすりゃあ、話は別だけどな」 「ま、まっさか〜‥‥ハハハ〜」 乾いた笑い声を上げながら、ちら、と隣に視線を送れば、慌てたように左右に首を振っている。 いったいこの青年は、何を、どこまでつかんでいるのか。 いや、つかんでいるのか、単なる偶然か。 嫌な汗が、羽織の下の背を伝う。 「だいたい魔動器ってのは、調子が悪くなってから修理しようなんて考えてると、かえって面倒なんだよ。下町の水道魔動器がいい証拠だ」 「おっさんの心臓は水道と同レベルかい」 「普段からちゃんと調整しとけって話。別に嫌がる要素ないだろ」 「お、おっさん、若い女の子にハダカ見られるのはちょっとハズカシイかなあ、なんて‥‥」 「女大好きなくせに、今さら今さら」 フフン、と口角を上げるその笑みは、元が美形な分、迫力が違う。 「おっさんは大事な戦力だからな。万全の態勢にしときたいってだけだ」 「そうですよ。よかったですね、レイヴン」 エステルの天使の微笑みが、癒しどころか、後ろめたい心にざっくり突き刺さる矢そのものだ。 心配かけたくなかっただけなのに。 なかなか、思うようにはいかないものらしい。 「なんつーか‥‥大将、なんでそう人はめるのうまいの」 「人聞きの悪い」 そう言って笑う顔は、どこか子どもっぽい。 そうして悪戯小僧は、じゃあもう一つ、と、笑顔をひらめかせるのだ。 「エステル」 「はい」 「おっさんの右足首。直しといてくれ」 「え？」 「え？」 ギョッと思わず足を引っ込めたレイヴンと。 翠緑の瞳がこぼれるんじゃないかというくらい見開いて隣を見つめたエステルと。 「じゃ、よろしく」 長い黒髪を翻し、軽く挙げた右手をひらひらと振って、ユーリは去っていく。 「‥‥‥‥‥‥えー‥‥とぉ‥‥‥」 戦闘中に、くじいた。 エステルをかばって飛び込んだリタは、自分を狙う魔物には気づいていなかった。 矢を射るわけにはいかなかった。その向こうに二人はいるのだから。 だから魔物の正面に回り込み、小太刀で切り上げ―― たぶん、その時だろう、が。 ‥‥何故、ばれたのだろう。 「あ‥‥でも別に、たいしたことは‥‥ね？――」 不穏な空気を感じて、おそるおそる振り向けば。 「‥‥レイヴン！！」 風の音唸る大空に、可憐な怒声が響き渡った。

2009.1.6

レイヴンはみんなのことが大好きです。 大好きだから、心配かけたくなくて、しかも年長者だから、 相談より先に、自分でなんとかしようって考えちゃう。 それでさらに「どつぼ」にはまっていくと、おもしろいなあ←鬼 そしてそんなレイヴンを、 ユーリは「しょうがねぇな」って思ってて、 リタあたりは「馬鹿っぽい」とか切り捨てながら、でも心配してるとか。 …そんな感じのお話(^^;)。 もうちょっとだけ続きます。