靴下



アキラの部屋にツリーを飾ったのは、ヒカルだ。

「和谷からもらったんだよ。和谷は奈瀬にもらって、でもあのアパートじゃ邪魔だって、奈瀬は伊角さんにもらったらしいんだけど、中途半端な大きさだからヤなんだって。で、伊角さんはどこだかの店の福引きで当てたらしいんだけど、今さらツリー飾る家でもないからって」
要するに、たらい回しにされたあげくに貧乏くじ(本人はそうは思っていないだろうが)を引いてきたらしい。
「だからさ、おまえの部屋は殺風景だから、ちょうどいいじゃん」
どう聞いても褒められているとは思えないセリフを悪びれもせずにぺらりと吐いて、結局部屋の片隅に、ご丁寧に飾りつけまでして置いていった。

とはいえ、確かに家具の少ない部屋だから、たかが高さ50cm程度のツリーなど、別段邪魔になるわけでもなかった。いや、視覚的に邪魔といえば邪魔ではあったけれど、本当に鬱陶しい時は背を向けてしまえば済むことだった。
少なくとも、クリスマスまでの我慢だ。
そう思って黙認することにした。

そうして放置していたら、クリスマスイブの前の晩、ヒカルがふらりとやってきた。
「おまえのことだから、まだ靴下つるしてないんだろうと思ってさ」
「ボクじゃなくても、二十歳過ぎた男はそんなことしないと思うよ」
そんなアキラの言葉になどはなから取り合わず、靴下を出せと、勝手に箪笥を開けて勝手に物色し勝手に引っぱり出してきた。
「進藤」
ヒカルにしてみればアキラらしくないことをさせておもしろがっているのだろうが、喜々としてツリーを飾り靴下をその根元に並べている姿には、怒りを通り越して、呆れ諦めの境地だ。
「だいたい、サンタがプレゼントをくれるのは子どもだろう。それにそんな靴下にプレゼントなんて入るものか」
「夢がないなあ。こうゆうのは気分だろ。キブン」
「気分、ね」
「幸運が入りますようにって、おまじないだって」
「へえ、そうなんだ」
「え、知らない？昔うちのじーちゃんが言ってたんだけど」
「知らない」
ふうん、とヒカルが首を傾げる。
「幸運を呼び込むなら、それこそそんな使い古しのものじゃなくて、新品の方が効果はありそうだけれど？」
「ニオイで寄ってくるとか」
「洗濯済みだよ。あいにくとね」
剣呑と瞳を眇めてみせると、キシシ、と歯を見せてヒカルが笑った。
「なあ、クリスマス、塔矢の予定は？」
「手合いが一つあるよ」
「そうじゃなくてさー」
ヒカルがあからさまにがくりと頭を垂れた。
「それは知ってる。そうじゃなくて、その後」
「後？」
「誰かと出かけたりとかするのかって」
「ああ、そういうこと」
アキラは軽く肩をすくめた。
「特にないよ。あんまり騒々しいのは好きじゃないし」
「ふうん」
「キミは？」
「オレ？いつものメンバーでクリスマス飲み会」
「ああ、そう」
いつもの、と聞けばだいたい分かる。和谷や伊角、そのあたりの面々だろう。
ヒカルが「あのさ」と、体ごとアキラに向いた。
「夜、ここ来ていい？遅くなるかもしんないけど」
「いいけど‥‥何故」
「塔矢と夜通し飲み明かすってのもおもしろいかと思って」
「キミは、飲み会の後でまだ飲む気なのか」
「ほどほどにしてくるって。それにおまえ、なんかイイの、持ってるんだろ」
「‥‥キミって時々、無駄に記憶力いい時あるよね」
「褒めてくれてありがとう」
ヒカルはひらひらと片手を振ってへらりと笑った。







翌日──クリスマス・イブ──を、通り過ぎて、１時間も過ぎようという頃だった。
シン、と静まりかえった夜の空気を、けたたましい呼び鈴が打ち破った。
風呂上がりにパジャマで棋譜を見ていたアキラは、慌てて廊下に飛び出して、けれど玄関の手前でぴたりと足を止めた。
「塔矢ぁ、おーい、開けてー」
扉の向こうから聞こえてくるその声は、哀しいかな、間違いようもないほどよく知った相手のものだった。
一瞬、そのまま無視して寒空に放置してやろうかと思った。
が、このままでは明らかに近所迷惑だし、そうなれば後日いたたまれない立場になるのは、他ならない自分だ。
仕方なく鍵を開けて、扉を開く。
現れたのは予想に違わず、見事な出来映えの『酔っぱらい』一名だった。
「やっほーとうやー、めりぃくりすますー‥‥って、うわわわわっ！」
最高にはじけた笑顔の襟首をひっ掴んで、力任せに引きずり込む。
その勢いで放り出したヒカルが、廊下めがけて10点満点のダイビングを決めたとしても、アキラの知ったことではなかった。
「もーひでぇなあ」
「夜中に人の家の玄関先でわめく方が、よっぽどひどい」
「なんだよせっかく来てやったのにー」
「来てくれと頼んだ覚えはない」
「えー飲もうって約束したじゃんー」
「キミが勝手に『来たい』って言ったんだろ」
つっかけを土間に揃え、そこに転がったままのヒカルの体を容赦なく素足で押しのけて、アキラはさっさと中へと向かう。
情けなくよれた声音が追いかけてきた。
「塔矢ぁ、水ー」
「勝手に飲め。ボクは寝る」
迷いもなくスパン、と、部屋の戸を後ろ手に閉めた。

まったく、どこが「ほどほどに」だ。
１ｍ近づいただけでアルコール臭がした。いったいどれだけ羽目を外してきたのだろう。

期待していたわけではない。
期待はしていなかったけれど、どこかで待っている自分がいた。
何を待っていたのか、自分でも分からない。
ヒカル自身か。碁の相手か。はたまた飲み仲間か。
それとも、クリスマスという、特別な日だからか──

やってきたヒカルを見て、落胆した自分がいた。
同時に、ヒカルが来たことに、ほっとしている自分がいた。

結局、混乱した脳味噌の解決にアキラが選んだ策は、「逃亡」だった。
「‥‥‥‥‥寝よう」
電気を消して、さっさと布団に潜る。
部屋の外へと神経をとがらせると、人が動き出した気配がした。
大丈夫。放っておいても、ヒカルにとっては勝手知ったる他人の家、だ。

目を閉じて、深々と長い溜息をついた。

そのまま、寝入ってしまったのだろう。

その後の記憶は、アキラにはない。
知らないところで何が起こっていたのか、知りようもないし、知ったことではなかった。








翌朝。
「‥‥‥‥‥‥？」
いつもの時間、いつものように目が覚めた──はずだった。
奇妙な違和感に、起き抜けのぼんやりとした意識が、急速に浮上する。
隣を見れば、いつのまに入りこんできたのか、ヒカルのあどけない寝顔が、鼻先15cmのところに転がっていた。
「‥‥‥酒臭い」
顔をしかめて、アキラは起きあがった。
朝の冷えた空気に、手近に置いておいたカーディガンをはおる。
と、上掛けを持ち上げられて寒いのか、ヒカルが小さく呻いて体を丸めた。
起きるかな、と思って見ていると、そのまま布団の端に顔からずぶずぶと潜り込んでいく。
「まったく‥‥」
フン、と鼻先で吐息をついた。
昨夜はきっと、布団を敷くのも面倒で、かといって寒さに耐えられずに、手近なここへ潜り込んだのだろう。
それにしても、気づかなかった自分も十分不覚だ。
ヒカルの唇が、何かを含むように動き、緩んだ。
「さむ‥‥‥‥」
寝惚けた声が、端からこぼれ落ちる。
溜息まじりにそのまま布団を掛け直してやろうとして、

「あれ‥‥？」

アキラは大きく上掛けをめくった。
とたんに冷気に晒されたヒカルが、ますます体を縮こまらせて呻いた。それでも、起きる気配はない。

ヒカルは、昨日の服のままだった。
正確には、シャツとズボンだけが同じで、上着とセーター、ベルトと靴下は、すぐ脇に無造作に脱ぎ捨ててあった。

なのに、寝ているヒカルは靴下を履いていた。
見覚えのある靴下。
ツリーへと目を転じれば、確かにそこにあったはずのものが、なくなっている。



ああ──なるほど。



アキラは上掛けの下に潜り込むと、ゆっくりとヒカルの上に覆い被さった。
甘いアルコールの匂いが、鼻をくすぐる。
両側に肘をついて、頬に両手をあて、そっと顔を仰向かせる。
額をつきあわせると、無意識に熱を求めたのか、ヒカルがひたり、と縋りついてきた。

「‥‥‥ふうん」

事情は知らない。
けれど、自分の靴下に「入っている」のだから、これは自分宛のプレゼントだ。

「そうだろう‥‥進藤？」

さて、どうしてくれようか。

朝日が部屋中に満ちている。

アキラの顔に、艶を含んだ笑みが広がった。
2006.12.28