空にきらきら

「うわぁっ、ヒカル、すごいすごい！」

小学校のグラウンド。
たくさんの子ども達が縄跳びをしている。
その中に混じって跳ぶヒカルの目の前で、〈彼〉はずっと歓声をあげていた。

時代がかった白い着物を着た、端整な顔立ちの青年。
藤原佐為、と名乗る、正真正銘の────幽霊、である。

佐為は、ヒカルの足下に書かれた円の外に端座し、ヒカルが跳ぶたびに目を輝かせた。
「すごい、すごいですヒカル！まるで鳥のようです」
「鳥ぃ？」
「ええ。ここから見ると、あの青空にヒカルが飛んでいるように見えるのですよ」

ヒカルは空を仰いだ。

早春の空が、どこまでも青く広がっていた。

ヒカルの足下に円を書いたのは、他でもないヒカル自身だ。

佐為は幽霊のくせに好奇心旺盛で、どんなことにもすぐに首をつっこんできた。
初めて出会った頃は、車に驚き、自販機に騒ぎ、とにかくうるさかった。
ヒカルが授業中でも遠慮はなく、飛行機を見ては「巨大鳥！」と叫び、ドッジボールをしていても話しかけてきた。
それがようやく落ち着いてきたかと思ったら、今度はこれだ。

「わ、わ、ヒカル、なんですか、その紐。何を始めるんですか」
佐為は、初めてなわとびを見た時も、予想通り目を輝かせた。
「とても綺麗な色ですねぇ。おや、いろんな色があるのですね。つやつやしてる。うわぁ、綺麗ですねぇ」
この幽霊、恐ろしくないかわりに、鬱陶しいほどしつこかった。
ヒカルはうんざりして顔をしかめた。
「あのなぁ‥‥ただの〈なわとび〉だろ。こんなのが珍しいか？」
「〈なわとび〉？縄なんですか？ほう‥‥でもそれ、どうやって使うんですか？」
「どうって‥‥跳ぶんだよ」
「跳ぶ？跳ぶだけ？それで？どうやって？何のために？」
「ああーっ、もうっ、学校で使うの！いちいちうるさいなあ」
「だって、どうやって使うのか、気になるんですもの」
「だったら、黙って見てろ！これからやるから！」

そして、外へ出たら出たで、佐為の興奮はさらにエスカレートした。
「すごいすごい！ヒカル、子どもがいっぱい跳んでますよ！」
「だから、〈なわとび〉だって言ってんじゃん」
「ほう、これが〈なわとび〉ですか。うわあ、うわあ、皆楽しそうですねぇ。おや、あの小さな子は、まだうまく跳べないとみえる。なるほど、思いのほか難しいのですね。フフ、かわいいですねぇ」
間断なく喋り続ける佐為の言葉を右から左へと聞き流し、ヒカルは同級生達と合流し、少し開けたところで跳び始める。
軽く前跳びをした後、二重跳びに移ろうと、地面を蹴る足に力をためる。

その矢先だった。

「ヒカル見て見て！あの子！」
「うわあっっ！！」

突然正面に現れた人の顔に、ヒカルは悲鳴を上げてとびずさり、勢いで思いきり尻餅をついた。

同級生達がどっと笑った。
「ヒカル、だっせェ！」
彼らには佐為が見えない。
だから、ヒカルがただバランスを崩したようにしか見えなかったのだろう。
「うるさいうるさぁいっ！」
ヒカルは叫んで、それから傍らでおろおろしている幽霊にも心の声で怒鳴りつけた。

「いきなり前に顔出すなよ！びっくりするだろうっ！」
「ご、ごめんなさい‥‥」

もちろん、幽霊だから、傍にいたところで縄がぶつかるわけではない。
でも、視覚的には非常に心臓に悪いのだ。

ヒカルは足下に、靴の踵で半径２メートルほどの円を書いた。
「もおぉっ、おまえっ、こっから中に入ってくんな！」

「はい‥‥」
佐為は神妙に頷いた。

接近禁止令を通告された佐為は、どこかしょんぼりとして見えた。
ヒカルは前跳びをしながら、なにやら落ち着かない気分になる。
ちょっときつく言い過ぎただろうか。

ヒカルは跳ぶのをやめて、大きく溜息をついた。
「佐為、なに？」
「ヒカル？」
佐為が不思議そうに小首を傾げる。
ヒカルはなわとびを片手に持ち、その手を腰にあて、溜息まじりに言った。
「さっき、何か言おうとしてただろ。なに？」
「え？ああ‥‥いえね、あの辺りにいた子どもが、まるで軽業師のようだったので‥‥」
「かるわざし？なんだよ、それ」
「なんだよって‥‥ああ、ほら、あの子ども」
佐為が指し示す先で、ヒカルと同じ学年の少年が、〈はやぶさ〉を跳んでいた。
「なんだ、〈はやぶさ〉じゃん。オレも跳べるぜ」
「えっ、本当に？」
「見たい？」
「はい、ぜひ！」
どうやら、元気になったらしい。
「じゃ、そこで見てな。座ってれば？どうせ佐為、汚れないだろ？」
「はい」
ヒカルに言われたとおり、佐為は円の際に正座する。
「んじゃ‥‥‥まあ」
持ち手を両手に握り、ヒカルは跳び始めた。

縄が大気を切り裂き、鋭く唸る。
真っ青な空に、ヒカルが跳ぶ。
小柄な体は高く、軽やかに、宙を舞った。

「すごいすごい！まるで鳥のようです」
散々跳んだ末に縄が引っかかって止まったヒカルに、佐為は興奮したように話しかけてきた。
「他の子達もよく跳ねますが、ヒカルは特によく跳ねますね」
手放しで誉める佐為の言葉は、妙に照れくさくて、ヒカルは縄を調整するふりをして下を向いた。
「‥‥〈前はやぶさ〉は、たいしたことねーんだよ」
「そうなんですか？まるで宙に浮いているように見えましたよ」
同じ事を昔あかりにも言われたような気がするが、佐為に言われると体がむず痒くなるのはなぜだろう。
「でもさ」
ヒカルはやおら顔をあげると、ふん、と息をついた。
「〈三重跳び〉はできないんだよ。できなきゃ〈名人〉にもなれない」
「〈三重跳び〉？」
「１回跳ぶ間に、縄、３回まわすの」
「‥‥それは、それこそ宙に止まっていないと無理でしょう」
「無理じゃねーよ、だって２組にできるヤツいるもん」
「その者は術師ですか」
「なんだそりゃ。オレたちと同じフツーの子供だよ」
ほー、と佐為が目を丸くして感心している。
ヒカルは軽く吐息をついて、再び跳ぶために縄を自分の後ろに落とした。
「ま、とりあえず目標〈三重跳び〉１回だな。あともうちょっとなんだよなあ、もうちょっと高く跳んで、縄速く回せれば‥‥」
ぶつぶつとつぶやきながら、跳び始める。
はじめは、〈二重跳び〉。そして、〈三重跳び〉へと移る────。
「あ」
ひっかかったヒカルを見て、佐為が思わず声をあげる。
ヒカルは軽く舌打ちして、再び跳び始めた。
また、失敗。
「‥‥このくらい、囲碁にも取り組んでくれたらいいんですけどねえ」
「う、うるさいなあ！」
なかなか打たせてあげない自分に多少の負い目もあって、そんなに強くは怒鳴れない。
「えーい、気分直し！」
ヒカルは〈はやぶさ〉を跳び始めた。
真っ青な空の中に、ヒカルの金の前髪がはじけてキラキラと輝く。
「うわあ、ヒカル、すごいすごい！」
佐為はたちまち頬を紅潮させて、ヒカルの跳躍に手を打った。

佐為はじっと、ヒカルを見つめていた。
たくさんの子どもが跳ぶ中で、不思議なことに、ヒカルは誰よりも浮きだって見えた。
それこそ、周りが霞んでいるかのように、佐為にはヒカルが輝いて見えた。
何故だろう、と、佐為は考える。
ほんの子どもだ。
わがままで、自分中心で、まるで世界の王のように奔放に生きる、一人の子ども。

佐為はヒカルを見つめた。

一心に、ヒカルは跳んでいる。
力をいっぱいにためた小さな体が、しなやかに弾む。
悔しがり、ときおり首を傾げ、何度も挑戦する。

ああ、そうか、と。

端整な顔立ちに、笑みが広がった。

この子ども。

ただひたむきに、光を追う術を知っている。
誰のためでも、自分のためですらなく。
ただ、ひたすらに。

「だから、輝いて見えるのか‥‥」

「‥‥‥‥‥‥佐為？」
やたらとニコニコ見つめてくる佐為に、ヒカルは薄気味悪ささえ感じて頬を引きつらせた。

何度跳んでも、〈三重跳び〉になると引っかかってしまう。
「もー、なんだかなあ、なんで跳べねェのかなあ」
「うーん、何故でしょうねぇ」
「うー‥‥なあ佐為、オレ低い？」
「背が、ですか？」
「違うっ、跳んでる高さ！」
「ああ、その高さですか。いいえ、十分高いと思いますよ」
「でも、もっと高く跳ばないとさあ」
ヒカルが唸るのを見て、佐為が小さく笑い声をたてた。
「私がヒカルを抱き上げてあげられたらいいのですけれどね。私、ヒカル以外の人には見えないし」
「おまえ、オレに触れねぇじゃん」
「そうですね。残念ですか？」
「だぁれがっ！」
べーっ、とヒカルは思いきり舌をつきだしてやる。
くすくす笑う佐為の前で、ヒカルはまた跳び始めた。

〈前跳び〉から〈二重跳び〉へ。
そして、脚に力をためて────。

「ヒカル！」

正面に立った佐為が、両手をさしのべる。

────まるで、軽々と抱き上げるように。

体が宙に浮く。
いつもの、『落ちる』感覚がこない────。

「あ────」

驚いて、二度目はなかったけれど。

「‥‥‥‥ヒカル？」
「ぃよっしゃあっっ！！」

ぐっと拳を握りしめて高らかに、ヒカルは叫んだ。

感覚をつかんでからは、順調だった。
跳べた高揚感から、どんどん回数を伸ばしていく。
「ヒカル、うれしそうですね」
佐為が微笑む。
「そりゃあ、もお！」
調子に乗って、ヒカルは何度も跳んだ。

それでも、体力には限界がある。
散々跳んで、止まった時には、膝がわらっていた。
「あー‥‥ちょっと休憩」
ヒカルは息を弾ませながら、周りを見渡した。

いろんな技がくりひろげられていた。
大縄で楽しんでいるグループもあった。

ふと、その内の一つを見て、それを思いついた。
「佐為、ちょっと」
ヒカルは円の中に佐為を手招きした。
佐為が不思議そうに近づいてくる。
ヒカルは悪戯っぽく笑って言った。
「佐為、見てるだけじゃつまんないだろ。跳ばせてやるよ」
佐為はこれでもかというほど大きく目を見開いた。
そして、ばたばたと手を振った。
「わっ、私跳べませんよ！こうしたことは、どうも不得手で‥‥」
「だぁいじょうぶだって。いいか、オレとおんなじに跳べよ。ほら」
言うなり、ヒカルはゆっくりと、リズムよくジャンプし始めた。
「えっ、えっ‥‥！」
佐為は慌てながらも、押し切られるように跳び始める。
「こ、こうですか？」
「ああ、うん、そのままそのまま」
佐為の長い髪が、跳躍にあわせて弾む。
ヒカルは佐為の正面にまわり、前跳びを始めた。

「おっにいっさん、おっはいんなさい、さあ、どうぞ、１、２‥‥‥」
「えっ、うわっ」
ほとんどくっつくような距離で、一緒に跳ぶ。
なんだかヒカルの足を踏んでしまいそうで、佐為はつま先だって跳んだ。
縄の中に収まるようにと、精一杯身を縮めて跳んだ。

本当は、どんな跳びかたをしても、縄が絡むことはないのだけれど。

「‥‥８、９、１０、あっりがっとお！」
ヒカルは縄を回したまま佐為の隣へ抜け、最後につま先で縄を踏んだ。

「どう？」
ヒカルが見上げる。

佐為は小さく息を弾ませていた。
「ええ、これはなかなか、楽しいものですね」
「たまにはいいだろ」
「はい。ありがとうございます」
佐為が微笑う。

その笑顔に、ヒカルも笑った。

真昼の校庭に、休み時間終了を告げるチャイムが鳴り響いた。

「あれ？」
縄を結ぼうとして足をどけたヒカルは、いつもと違う手ごたえに首を傾げた。
「あー‥‥‥」
見れば、縄はぷつり、と真ん中で切れている。
「切れてる」
「ずいぶんと激しく扱いましたからねぇ」
「ま、いいや。新しいの買ってもらえば」
「ヒカル、ものは大事にしないと」
「おまえ、お母さんみたいなこと言うなよな」

「ヒカルぅ！」
遠くで、あかりが呼んでいる。

「ほら、呼んでいますよ」
「ったく、あかりのヤツ」
「ヒカルってば、昨日掃除さぼったから」
「うるさいなあ、もう────今、行くよ！」

ヒカルは力いっぱい叫んで、校舎の方へと走り出した。

2002.2.17