初　雪

朝。 寒くて目が覚めた。 時計を見れば、午前６時少し前。 まだ暗い室内。夜明け前の静けさ。 でも、いつもとは、何かが違う。 厳かな、違和感。 ベッドに上体を起こし、カーテンをめくったとたん、ヒカルは小さくつぶやいた。 「うわ‥‥‥」 真っ白な町に、大きな牡丹雪が舞い落ちていた。 ヒカルは窓を開けた。 「うっわ、寒っ‥‥‥‥」 下半身を覆う布団を引き寄せ、肩まで埋もれる。 静かだった。 天使の羽のようだった。 真っ白い綿羽が、あとから、あとから、落ちてきた。 まるで、『終わり』などないというように。 雪は、風に遊び、戯れ、先を争うように地面へと急いだ。 空は雪を作る〈工場〉なんだ────幼い自分はそう言ったらしい。 その話をした時の、〈彼〉の愛おしそうな微笑みをふと思い出し、ヒカルは忍び笑いを洩らした。 その時は、「子供扱いするなっ！」と、ずいぶんむくれたものだが。 今ならあれが、最大限の愛情だったと、素直に受け取ることができる。 遠くまで続く屋根は、どこまでも白く、街灯の灯を映して淡い輝きをたたえていた。 「歩いてみたいなあ」と言ったことがある。 あの、なにもないところに足跡をつけてみたら、どんなに楽しいだろう、と。 〈彼〉は、楽しそうですね、と言って微笑んだ。 できるわけがない、とか、落ちたら危ない、とか、そんなことは一言も言わなかった。 優しい瞳で、綺麗に────それはそれは綺麗に、楽しそうだと言って、笑った。 ────歩いて、どこまで行くんですか？ ────そりゃあ、行けるところまで行くさ！ ────どこまで行けるのでしょう？ ────どこまでも！ ────どこまでも？ ────どこまでも。最後の端っこまで、足跡つけるんだ！ 一緒に歩こう。 一緒に歩いたら、足跡はオレたち二人の足跡だろ！ その時の、うれしそうな、泣き出しそうな〈微笑み〉は、今も鮮明に思い出すことができる。 一緒に歩いていたはずなのに、いつしかヒカルは一人だった。 真っ暗な闇の中を、一人で歩かなければならなくなった。 歩き続けることはできない、と本気で思った。 それは〈恐怖〉だった。 けれど今、ヒカルは歩き続けている。 自分の足で、歩き続けている。 歩き続けることができたのだ。 〈彼〉は、たくさんのものを与えていってくれたから。 葉を落とした木々の黒い枝々が、柔らかな雪をまとい、なお天を目指していた。 粛々としたその様に、次第に心が落ち着いていく。 〈自然〉に心を揺り動かされるその感覚も、〈彼〉にもらったものだった。 雪が舞う。 綿雪が舞う。 音もなく、激しく、厳かに、雪が舞う。 ────ヒカル見て見て！雪ですよ！とっても大きな雪！ 「‥‥ああ、ホントだ。でかいな」 ヒカルは小さく笑った。 懐かしくて、懐かしくて。 心がこんなに温かい────。 ヒカルは窓の外に顔を出した。 「うわっ、プ‥‥‥‥！」 たちまち、目や鼻に雪が張りつく。 慌てて顔を引っ込め、窓を閉めた。 子犬のように、プルルッ‥‥と頭を振って、雪を飛ばす。 布団の端で顔をぬぐうと、スッキリと目が覚めてしまった。 ふと思い立って、勢いよくベッドからおりた。 椅子に引っかけてあった上着をはおり、階下へと降りる。 ヒカルは受話器を取り上げると、もう覚えてしまった番号を手早く押した。 今日は一人でいるはずだ。 コール９回でつながった。 「あ、塔矢？オレ。今さ────」

2002.12.9